恋愛とは何でしょうか。 私は七年前の東日本大震災で恋人を亡くしました。 二年…
恋愛とは何でしょうか。
私は七年前の東日本大震災で恋人を亡くしました。
二年間交際した方で将来も誓い合い、とても幸せな毎日を送っている中での突然の災害、そして訃報でした。
現在も身体の一部すら見つからず、行方不明という扱いになっています。
震災直後は連絡もつかない恋人を探し様々な避難所を渡り歩き、仮設の安置所を巡り遺体を何百体と確認して歩く毎日でした。
そんな生活を送っている最中、私の中で何かが切れる音がしました。
程なくして恋人のご両親が遺体の見つからないまま葬儀を行うことを決断し私も同席させてもらって恋人を見送ることとなり、ご両親から恋人が毎日書いていたという日記を譲って頂きました。
私は今でも恋人の日記を読み返しています。
そしてその中には私との日々がどれだけ楽しく幸せだったかということが書かれていたり、私には決して見せることのなかった些細な弱音も書かれています。
先日、恋人のご両親にお会いした際に「もうあれから七年も経つ。あなたもそろそろ自分の幸せを見つけなさい。次の人を見つけて恋をしても誰もあなたを責めないよ」とお言葉を頂きました。
実は私たちの恋愛は周りの方々に祝福されるようなものではありません。
交際している証拠さえ一つも残していない程、日記でさえ私の名前は一回も出てきませんでした。
交際の事実を知っているのは恋人のご両親と私の姉のみ。
最近、私は恋人の顔や声を段々と忘れてしまっていることに気付きました。
肌や髪の感触、機嫌が悪い時の表情や構ってほしい時の声、楽しい思い出や苦しい思い出、一つ一つを少しずつ忘れてしまっています。
私は恋人を忘れることに耐えられそうもありません。
忘れられないような人だったはずなのに時間が経つにつれ忘れてしまっている自分が許せません。
悔して歯痒くてどうしていいのか分かりません。
私には恋愛というものが分からなくなりました。
恋人のご両親に「次の人を見つけて」「自分の幸せ」と言葉を頂きましたが、素直に受け入れられません。
人を好きになるということは楽しく幸せな時間と相反してこんなにも辛く苦しい思いと時間を過ごさなければならないのでしょうか。
恋愛とは、人を好きになるとはどういうことなのでしょうか。
ここまで取り留めもない長文になってしまい申し訳ありません。
そしてここまで読んで頂き本当にありがとうございました。
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さみしいですね
計り知れないです。
けど、人は辛いことを背負ったまま生きていけません。忘れるという能力があります。
忘れるのはいけないことではないです。
彼のおかげで培った時間は、幸せな時間は確かにあったのだから。忘れてもあなたの一部だと思います。
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