カトリックの人に質問です。 この質問はまじめに毎週教会に行き、ミサに出たり、祈…
カトリックの人に質問です。
この質問はまじめに毎週教会に行き、ミサに出たり、祈りを暗記していたり、勉強を続けていたり、頻繁に懺悔(告解)などをちゃんとやっている本物のカトリックの人がいれば聞きたいです。
なぜあなたは日本で生まれながらカトリックになれたんですか?
中途半端な自称カトリックやプロテスタントの人はご遠慮ください。
新しい回答の受付は終了しました
主さんのいう自分の知っていることを真面目にやる=本物のカトリックという認識に違和感を覚えます。熱心でも日曜に予定があり、土曜な夜に行く人もいます。カトリックは厳しいという印象かもしれませんが、柔軟です。毎日欠かさず絶対これをしなさいというものではないんです。
>> 9
体調が悪いのはもちろん許容されていますが、子供の行事ってそれにもよりますよね。毎週日曜のミサに参列できない時間帯と分かっていて子供の行事を優先しているなら少なくともあなたは神の教えより大切と思っているということになりますね。
「全てを犠牲にして規律を守ることをよしとしていません」、、そうでしょうか?
「できない人を排除するなんていう考えも持っていません」、、それは地獄を信じていないということでしょうか。
聖者たちの生き様を見れば、全てを、自分の命すら神のために犠牲にすることを教えています。日課についてはなにもレスがないんですね。あなたは自分で思うよりプロテスタント的な考え方をしているのかもしれません。
ローマ教皇は、カトリック教会と縁のない方が救われないというわけではないと仰っています。
カトリックの歴史を振り返ると、信仰に対する考え方は歴史と共に少しずつ変化しているのです。
またカトリシズムの中では、人間の魂は全てイエスキリストからの恩恵を受けており、本性状キリスト教的な存在である。従って全人類は可能的キリスト教徒でもある。
従って、教会に所属していなくても、良心の声に忠実に生きる人は知らずして神に従い、またイエスキリストの恩恵を受ける事ができるとあります。
教会のない地域もあるでしょう。
伏していて外出が出来ない人もいるでしょう。
バチカンではコロナの影響でミサを行えなかった教会がたくさんありましたし、それは様々な国でも同じでした。
教会は館です。
教会に行かない、行けない事で信仰の深さをはかるものではありません。
神はそのような考えを望んではおられず、もっと高い所から全てを許し愛してくださっておられる事を忘れずにいてください。
- << 13 続き、 「最後の日、その者たちは私と共にあった、あなたの名前を語って善業をしたと私にいうだろう。しかし私はあなたを知らなかった。」 「私を愛するということは、私の教えに従うことである」 どちらもイエスの言葉です。 全てを許すというのは、神の教えに伴い、自分の悪事を後悔して告解をし、改善する努力を続けていく場合です。 罪に漬かり、あなたのように罪の意識ももはや無くして、言い訳して自分の好きにすることを許容しているわけではありません。 クリスマスが近いですが、これを機にもう一度イエスキリストがなぜ私達を救うためにあれほど過酷な目に遭うことを選択したのか今一度考えてみたらどうですか。 カトリックの教えは神の教えそのものです。この世とは対極にあります。とても美しく尊い教えです。その教えや神の為に数え切れないほどの数の聖者達が自ら命を捧げて守ってきました。 自分をカトリックと言うなら、プロテスタント的な教えを改め、本当の教えを知った方が良いです。人生が180度変わるはずですよ。
>> 11
匿名1さんでしょうか?
カトリック教会と縁がないものでも誰でも、全ての人類はキリストを通してしか救いの道はありません。
生まれた地域や事情でカトリック教会と縁がない場合でも、神の教えの十戒は全ての人類の胸に刻まれていてそれに基づいて判断されるわけですが、カトリック信者はそれよりも教えを知っているので厳しい判決を受けます。イエスの知識や教えを持っているのにそれと違う行いをとるのですから当然厳しく罰せられます。カテキズムで習う基礎です
時代がいかに変わろうと、人間の意識は変わろうと、髪は変わりません。
「私は父の教えを変えるのではなく(旧約聖書)強く訴えるためにやってきた」とイエスも言っています。神に時間はありません。時間外にいます。
今も昔も未来も永遠に同じで一緒の考え
です。人間は時間に限られた生き物だからと言って、それに伴って神の教えや私たちに当てた規律は変わりません。これも基礎の教えです。
教会はただの館ではなく、生きるキリストの体だと教わりますよ。
紛争地域で生きるものが教会にいけないのと、自分が個人的な家族やその他のレクリエーションの予定で教会に行かない選択は別物ですよ。それぞれの両親に従えば良いなんて思いっきりプロテスタントの考えですね。
十戒知っていますか?
その中に病気などの理由以外で日曜日のミサに行かなかったらそれだけで大罪になるとはっきり書いてありますよ。そして大罪が一つでもあり、告解もしないままなら
地獄に落とされます。あなたは熱心なカトリックと言いながらそれを常習的に行っていようですが、大丈夫ですか?いくら自分の中で折り合いをつけたところで、教えは健在です。
もっと高いところから全てを許す、、まんまプロテスタントの意識ですね。カトリックの教えでは全くありません。
続く、
>> 11
ローマ教皇は、カトリック教会と縁のない方が救われないというわけではないと仰っています。
カトリックの歴史を振り返ると、信仰に対する考え方は…
続き、
「最後の日、その者たちは私と共にあった、あなたの名前を語って善業をしたと私にいうだろう。しかし私はあなたを知らなかった。」
「私を愛するということは、私の教えに従うことである」
どちらもイエスの言葉です。
全てを許すというのは、神の教えに伴い、自分の悪事を後悔して告解をし、改善する努力を続けていく場合です。
罪に漬かり、あなたのように罪の意識ももはや無くして、言い訳して自分の好きにすることを許容しているわけではありません。
クリスマスが近いですが、これを機にもう一度イエスキリストがなぜ私達を救うためにあれほど過酷な目に遭うことを選択したのか今一度考えてみたらどうですか。
カトリックの教えは神の教えそのものです。この世とは対極にあります。とても美しく尊い教えです。その教えや神の為に数え切れないほどの数の聖者達が自ら命を捧げて守ってきました。
自分をカトリックと言うなら、プロテスタント的な教えを改め、本当の教えを知った方が良いです。人生が180度変わるはずですよ。
新しい回答の受付は終了しました
その他の悩み掲示板の悩み一覧
注目の話題
お悩み解決掲示板 板一覧