祈りについて質問です 辛いなら笑ってやり過ごせ 何事もなかったように何事もな…
祈りについて質問です
辛いなら笑ってやり過ごせ
何事もなかったように何事もないように笑ってやり過ごせといいます
それが楽に過ごす智恵でしょうか
それは正しい智恵なのかわかなくなりました
祈って解決ということを考えるならば
笑ってやり過ごせないから真剣に祈れるのではありませんか
何事もあるからこそ真剣に祈る
祈りは、そういうものではないのですか?
白黒思考になっていますけどね
どう考えるとよいものでしょうか
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「他者を思うが故に」とは、どのような状況でしょうか?
他者の困りごとを解決するには、動くことが多いと思いますが?
- << 7 自他の考え方として全体の構成のあり方は例えば私の体で考えましょう 痛み辛さを感じる部分と楽や快楽を感じる部分が、あなたや私の体の中で感じるられると想定します この場合、どのような解決策を講じるのが賢明か?という問題に生じるわけです 直接に痛み辛さを感じる部分をなくすのが大切か? 或いは楽や快楽を感じる部分を大きくすることで痛み辛さを感じる部分をなくすのか? と考えるのではないでしょうか 腐敗が始まれば全体へ浸透する 自然の摂理ではないでしょうか 人のあり方、全体の構成は同じようなものと私は考えます
もっと簡潔に、お願いできますか?
当初の内容では、自分の悩みを「祈りで解消したい。」と取っていたのですが違うのですか?
そう捉えていたので「祈りは、他者の為に(No.1)」と答えたのです。
現在の返答では同じ考えにおり、返答することはありません。
ちなみに「自分の為に祈る」とは、絵馬に書いてある様なことを指しています。
>> 4
「他者を思うが故に」とは、どのような状況でしょうか?
他者の困りごとを解決するには、動くことが多いと思いますが?
自他の考え方として全体の構成のあり方は例えば私の体で考えましょう
痛み辛さを感じる部分と楽や快楽を感じる部分が、あなたや私の体の中で感じるられると想定します
この場合、どのような解決策を講じるのが賢明か?という問題に生じるわけです
直接に痛み辛さを感じる部分をなくすのが大切か?
或いは楽や快楽を感じる部分を大きくすることで痛み辛さを感じる部分をなくすのか?
と考えるのではないでしょうか
腐敗が始まれば全体へ浸透する
自然の摂理ではないでしょうか
人のあり方、全体の構成は同じようなものと私は考えます
人間というのは痛みを感じるので動くわけで痛みを感じなければ動く必要はないでしょう
人は痛みを感じて動いている問題を動かないように補正しようとする知恵はなくて
人は痛みを感じて動いていることが問題ではなく楽なのであると考えるのではないでしょか
そのため麻痺状態と言うか痛みを感じて動く部分が全体に波及している
なにを言いたいのかわかりませんのでしょう?
私には、No.7に他者を感じられませんでした。
例えをまんま考えると末期ガンに近いと思うのですが、自分の体なので好きにすれば良いです。
これを無理矢理世間の右往左往に合わせて考えるのは無理があると思いますし、他者に対して祈れることは限られています。
他者の考えや行動を制御できる筈もなし、悩んでいる人の話を聞いてあげて、整理しやすくしてあげることしか出来ません。
堂々巡りになっているので、此処等でおいとまします。
自己の辛い状況や経験に反応すると、自己を擁護する気持ちが大きくなっていって苦しみや葛藤が増幅を伴ってやってくる。
軽くやり過ごすのが楽になれば、そのときは自己を失う意識に到達していく。
功罪は自分も他人もない意識に成長していくことではないでしょうか。
自分も他人もないとするのと、自分も他人も同様にある。
どちらが良いということもないでしょう。
そのように存在していることが良くないのでしょうけども。
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