祈りについて質問です 辛いなら笑ってやり過ごせ 何事もなかったように何事もな…

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2022/10/03 19:50(更新日時)

祈りについて質問です
辛いなら笑ってやり過ごせ
何事もなかったように何事もないように笑ってやり過ごせといいます
それが楽に過ごす智恵でしょうか
それは正しい智恵なのかわかなくなりました
祈って解決ということを考えるならば
笑ってやり過ごせないから真剣に祈れるのではありませんか
何事もあるからこそ真剣に祈る
祈りは、そういうものではないのですか?
白黒思考になっていますけどね
どう考えるとよいものでしょうか

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No.3643764 (悩み投稿日時)

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No.1

祈りについての考えが、私とは根本的に違っているので難しいです。
祈りとは他者の為にするのであって、自分の救いを求めるモノではない。
「祈りなさい。」は、冷静に考える時間を作り、閃きがあれば幸いレベルの話です。

  • << 3 他者を思わない祈りというのは、適切な説明が難しいのですが。 そのような自覚にあるかないかの違いだとおもえるのです。

No.2

>> 1 一次的視点では、そう考えるかもしれません
失礼に感じたなら申し訳ありません
それも白黒思考ではないかと思うのです
辛い状況は他者との関係において生じてきます
違う状態を検討することが難しいくらいに、そうだと考えられます
排他状態であれば他者との関係はありません
己が辛いというのは他者を思うが故に引き起こされる現象ではないかと考えるものです
ご意見に感謝をして、ご意見をお待ちしております

No.3

>> 1 祈りについての考えが、私とは根本的に違っているので難しいです。 祈りとは他者の為にするのであって、自分の救いを求めるモノではない。 「祈… 他者を思わない祈りというのは、適切な説明が難しいのですが。
そのような自覚にあるかないかの違いだとおもえるのです。

No.4

「他者を思うが故に」とは、どのような状況でしょうか?
他者の困りごとを解決するには、動くことが多いと思いますが?

  • << 7 自他の考え方として全体の構成のあり方は例えば私の体で考えましょう 痛み辛さを感じる部分と楽や快楽を感じる部分が、あなたや私の体の中で感じるられると想定します この場合、どのような解決策を講じるのが賢明か?という問題に生じるわけです 直接に痛み辛さを感じる部分をなくすのが大切か? 或いは楽や快楽を感じる部分を大きくすることで痛み辛さを感じる部分をなくすのか? と考えるのではないでしょうか 腐敗が始まれば全体へ浸透する 自然の摂理ではないでしょうか 人のあり方、全体の構成は同じようなものと私は考えます

No.5

>> 4 おそらく幸せの基準となる考え方は私が違っているものだとの認識はあります
自他の区別差別がない
そういうものを仮に幸せの基準として考えていいただきます
他者の困りごとが自他の区別差別にある場合、自他の区別差別をなくす動きが必要になります
自他の区別差別にないというのは「他者を思うが故に」となりますよね
伝えられていない気もしますが取り合えず返させていただきました

No.6

もっと簡潔に、お願いできますか?
当初の内容では、自分の悩みを「祈りで解消したい。」と取っていたのですが違うのですか?
そう捉えていたので「祈りは、他者の為に(No.1)」と答えたのです。
現在の返答では同じ考えにおり、返答することはありません。
ちなみに「自分の為に祈る」とは、絵馬に書いてある様なことを指しています。

No.7

>> 4 「他者を思うが故に」とは、どのような状況でしょうか? 他者の困りごとを解決するには、動くことが多いと思いますが? 自他の考え方として全体の構成のあり方は例えば私の体で考えましょう
痛み辛さを感じる部分と楽や快楽を感じる部分が、あなたや私の体の中で感じるられると想定します
この場合、どのような解決策を講じるのが賢明か?という問題に生じるわけです
直接に痛み辛さを感じる部分をなくすのが大切か?
或いは楽や快楽を感じる部分を大きくすることで痛み辛さを感じる部分をなくすのか?
と考えるのではないでしょうか
腐敗が始まれば全体へ浸透する
自然の摂理ではないでしょうか
人のあり方、全体の構成は同じようなものと私は考えます

No.8

>> 6 もっと簡潔に、お願いできますか? 当初の内容では、自分の悩みを「祈りで解消したい。」と取っていたのですが違うのですか? そう捉えていたの… 絵馬に書いてあるような祈り
それが一元的であるとおもえているのですが
どのように伝えると伝えられるか模索しております

No.9

人間というのは痛みを感じるので動くわけで痛みを感じなければ動く必要はないでしょう
人は痛みを感じて動いている問題を動かないように補正しようとする知恵はなくて
人は痛みを感じて動いていることが問題ではなく楽なのであると考えるのではないでしょか
そのため麻痺状態と言うか痛みを感じて動く部分が全体に波及している
なにを言いたいのかわかりませんのでしょう?

No.10

私には、No.7に他者を感じられませんでした。
例えをまんま考えると末期ガンに近いと思うのですが、自分の体なので好きにすれば良いです。
これを無理矢理世間の右往左往に合わせて考えるのは無理があると思いますし、他者に対して祈れることは限られています。
他者の考えや行動を制御できる筈もなし、悩んでいる人の話を聞いてあげて、整理しやすくしてあげることしか出来ません。
堂々巡りになっているので、此処等でおいとまします。

No.11

>> 10 自分の体なので好きにすれば良いではなくて、好きな状態とは、どういう状態をいうかという問題はあります。
結局、人間という生物が無知なんです。
だから苦しむ世界をつくり苦しむ世界に生きて苦しむしかなくなってしまっています。
知恵があれば堂々巡りはなくなります。
中庸という状態がつくれないんですよね。
極端で。
人にはつくれない。

No.12

之は、その人の心理、精神、状況に依って変わるので自分で見つける他有りません。

  • << 14 時代ごとの全体の状況は同じでありますため、時代ごとの真実真理を求める姿勢は決まっていると考えるわけですが・・ 自己があれば、そうはならない そこに真実や真理はない ありますか?

No.13

>> 12 正しい祈り方のことですか?
真実や真理は不変不滅ですよね
時代ごとの同じ答えがあると思えているんです
真実や真理を求める姿勢が祈りではありませんか
真実や真理に祈りを捧げる姿勢は真剣であり冗談や軽い気持ちでやり過ごす意識では出来なくないでしょうか?
そこは不変かと思えています
感謝を捧げる祈りこそ本物だという一説も聞いています
之は仰るように状況に依り変わりそうですね
それでもやはり
そこには白黒思考が入っているのではありませんか
その不変ではない状況がそれを物語りますから
不変であるものこそ真実で真理であることに違いはないでしょう
いかがですか?

No.14

>> 12 之は、その人の心理、精神、状況に依って変わるので自分で見つける他有りません。 時代ごとの全体の状況は同じでありますため、時代ごとの真実真理を求める姿勢は決まっていると考えるわけですが・・
自己があれば、そうはならない
そこに真実や真理はない
ありますか?

No.15

自己の辛い状況や経験に反応すると、自己を擁護する気持ちが大きくなっていって苦しみや葛藤が増幅を伴ってやってくる。
軽くやり過ごすのが楽になれば、そのときは自己を失う意識に到達していく。
功罪は自分も他人もない意識に成長していくことではないでしょうか。
自分も他人もないとするのと、自分も他人も同様にある。
どちらが良いということもないでしょう。
そのように存在していることが良くないのでしょうけども。

No.16

15が、特に?なんかおかしい。

No.17

ひとりで生まれてひとりで生きていく
基本は、そうであったほうが楽に人生を歩めたに違いないと思っているけどな
現実は、そうではない
けど、それを目指すべきではないのか

No.18

死こそが救いである又は死こそが救いになるという考え方は、よいわけがないと思うんだ
ただ、それが現実なのかもしれないな
究極の祈りは、そうやって終止符を打つところにあるものか
わからない

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