儒教=儒学が好きです。 論語や朱子学などのいい点・悪い点どちらも含めて大好きで…
儒教=儒学が好きです。
論語や朱子学などのいい点・悪い点どちらも含めて大好きです。
そこで疑問に思った事があり、江戸時代の儒学者は中国(支那)が好きで儒学を学習していたのでしょうか?
だとすると、支那へ留学も頻繁に行っていたのでしょうか?
歴史に詳しい方ご回答お願いします。
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No.4093874 2024/07/12 10:14(悩み投稿日時)
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江戸時代、清(中国)とは貿易関係にありました。
江戸時代に学ばれていたのは朱子学です。有名なのは、林羅山ですね。朱子学は、大義名分論という考え方を重視していました。 これは、君臣・父子の別を弁え、上下の秩序を重んじるものです。 つまり、「目上の人には従わなければならない」という考え方で、これは為政者(江戸幕府の将軍)にとって、民衆を統治するのに都合が良いものでした。
その後、新たな儒教の学問ができました。古義学の伊藤仁斎、陽明学の中江藤樹、古学の山鹿素行ですね。彼らは、初め朱子学を学んでいましたが、朱子学の考え方に疑問をもち、孔子の考えに戻って、そこに自分なりの解釈を加えて新たな儒教の学問にしたのです。彼らは清に留学したことは無い。
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