幸せとは考えれば考えるほどよく分からなくなってきて、考えるほどとてつもない喪失感…
幸せとは考えれば考えるほどよく分からなくなってきて、考えるほどとてつもない喪失感?不安?寂しい感じます。
日々の日常が幸せなのかもしれませんが、よくよく考えると、それがいつまで続くかわからない不安がほとんどあります。
お金、時間、親、友達、若さ、楽しみにしてたゲームやテレビ。
その他もろもろ。
自分が1番心が満たされる瞬間ってどんな時なんだろうとずっと考えてますが、覚えてないです。
楽しい!って思えることは割と少なくて、でもほとんどがつまらないってわけではないんです。
夢中になれないといえば良いのでしょか
何も考えず楽しむことだけってことがあんまりできないです…
それは損得感情が出ているやら、意味もないわからない未来を考えているとか、だからなのでしょうか。
なんとなく、ルーティンのような似たような日々の繰り返しをしてしまってるからありがたみがわからなくなってきてるのでしょうか?
何も考えない、そんな日々も過ごしてみたいです。
夢の中だけはどんな夢かによるかもですが、何故か基本無心な気がします。
考えてるようで考えてないそんな感じです。
タグ
新しい回答の受付は終了しました
幸せとは周りの人全員から好かれていると思えることです。周りの人全員から愛されていると思えることです。自分を敵にすることを止めた時、周りの人が全員味方になります。このことを無敵と言います。人を信じることができた時に幸せが感じられます。何かができるから幸せなのではありません。心の中から認められたい、愛されたい、頼られたいという憎しみが消えた時に幸せを感じることができるようになります。幼い頃からの積もり積もった憎しみを吐き出せると幸せになれるということです。キリスト教では「汝の敵を愛せ」と言っています。自分を敵にしていると周りが敵に見えます。敵に囲まれていては幸せにはなれません。自分を愛せということです。仏教では苦しみの原因は「渇愛」であると言っています。愛されたことがないことへの憎しみです。さらに「諸行無常」は「一切皆苦」と言っています。「八方美人」では満足が得られません。そのことを一切皆苦と言っています。人を信用できないから「八方美人」になります。正直な自分の感情を表現することを恐れているから「八方美人」になります。人が傷つくことを恐れるあまり、相手を信用していないということです。人の感情への恐れがなり、人の感情の責任を自分の責任にすることが無くなれば幸せになれます。周りの人全員から愛されている事実を認識できるといいですね。生きているだけで幸せを感じられるようになります。このことを「悟り」と言います。
新しい回答の受付は終了しました
心の悩み掲示板の悩み一覧
注目の話題
お悩み解決掲示板 板一覧