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過去のトラウマと向きあうには

回答8 + お礼10 HIT数 2873 あ+ あ-

学生さん
14/11/11 03:22(更新日時)

過去のトラウマと向き合う方法、傷を癒す方法を教えてください。
こんにちは、だいぶ長くなりますが、目を通していただける方がいれば幸いです。


私は物心ついた(大体小学1年生くらい)頃から両親が信仰していた宗教、統○教会へと通わされていました。毎週末には教会に行かされて、自分たちはいかに選ばれた存在なのかなどを聞かされてました。
幸か不幸か、私は親からの遺伝で若白髪が多く更に内気な子供だったので通わされていた教会の同級生(3、4人しか同じ歳の子はいませんでしたが)たちにいじめられていたので教会には行きたくなくて小学6年ころには教会へ行くフリをして中古本屋などで時間をつぶしたりしてました。当時の私は教会の教えなんてクソくらえと思っていました。今もですが(笑)。

それが親にバレ、大喧嘩の末私は教会へ行かなくていい権利を勝ち取ったのですが、その後の母親と兄の私へのアタリは割とひどいものでした。
兄は教会へ行かない私をそれを理由に見下したり、母は私と兄を比べて兄をほめたり、ときにヒステリックになぜ教会へ行かないのかと叱られたりしました。父親はたぶん、熱心な信仰者ではなくて(結婚目的で教会へ入っていたっぽい)私のことに対しては寛容でした。


その後、私が中学3年生の夏に父親が病気で死にました。10数年前から患っていた肝硬変が原因でした。家族の関係が変化してきたのは父親が死ぬ数年前からです。

私が中学2年の時、兄が同級生の女の子を好きになったのですが、教会の教えからそれは許されないものでした。当然母は反対しました。
恋愛に反対された兄は、その恋を諦め、一見その件に関しては落ち着いたように見えました。

兄は教会の教えを未だ守っていたので相変わらず家内での態度は大きいもので、特にそれを止める役割の父親が入院で家に長期不在でしたのでその傲慢さが助長されていきました。
当時受験生だった兄(私とは年子です)はそれを理由に母と私に当たり散らしストレスを発散していました(TVの音量は3まで、夜中にトイレへ行くな、階段を昇り下りする音がうるさい等)。

私はそんな兄に対して反抗しまくっていて度々暴力を振るわれたり、教会へ行かないやつめと見下され続けていましたが母親はとめませんでした。
母は教会へ行かない私を少なからず良くは思っていませんでしたし、兄の暴力が怖かったのです。

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No.2155935 14/11/08 04:45(悩み投稿日時)

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No.1 14/11/08 04:47
お礼

すいません、続きます。

話が一転二転してしまうのですが、私が小さいころから母と父はよくケンカをしていました。もともと、敬虔な統○教会信者である母と結婚目的で入った父。馬があうはずなかったのです。
そのケンカというのがもうDVと言っていい内容で、父は母の背中を噛む、蹴るなどをしていました。当然、言葉の暴力もありました。
私もおぼろげにしか覚えてないのですが、"お母さんを殴らないで"ととめに入ったら"殺しはしないからね"と父はのたまっていたみたいです。
そんな調子でも母は信仰を守り10年近く(見た目だけ)夫婦として過ごしていたのですっかり暴力に脅える女性になってしまったのですね。
父親は死ぬ寸前まで母親に肝臓をくれと毎日病院から母へTELしたり外堀を固めたりしていました。母は最期の意趣返しとばかりにそれをはねのけてましたが…。
最後の最後に父は因果応報を体現したんでしょう。

父が死に、母は自分を脅かす存在から解放されたと思っていたみたいですが…今度は兄が父にとって代わってその座にすわりました。

高校2年生になった兄は若干引きこもり気味になっていました。
学校では友達ができなくて(兄も割と内気な性格でした)、しかも教会の教えから思春期の男性がするような恋愛もできなくて心の中で葛藤を持っていたみたいです。
兄は父が死ぬ前よりも明らかに暴力性が増していて、その暴力の矛先は私ではなく、母に向けられていました。そして神経質さも増していました。
理由は"自分の初恋を親に、教会に邪魔されたから"というものです。
曰く、もし邪魔されていなかったらきっとうまくいっていた、俺の人生を滅茶苦茶にしたのはお前(母)のせいだ、と。

殆ど毎晩、兄は母の部屋へ行き、"俺の人生を滅茶苦茶にしたのはお前だ""責任とれよ""謝れよ"と怒鳴り続けました。
怒鳴るだけでは飽き足らず、母を蹴ったり唾を吐きかけたりしていました。

No.2 14/11/08 04:49
お礼

父が死んだ我が家では兄を止められる者がいません。
私もさすがに兄の母への態度は目に余るものがあると思い止めたりしたんですが、…兄はどこか病気だったのかもしれないです。言葉の応酬ができませんでした。
働き手が母しかいない我が家。
「父親がいない今、生活ができているのは母が働いてるおかげでしょ?そんなこともわからないのか」と私が止めても「俺の気持ちも知らないクセになにもいうな」と怒鳴り散らし、私に対しても殴る蹴るをしてきました。
母への仕打ちは止まることはありませんでした。

皮肉なことに、兄がそういう風になったこと、父の死後教会は何も助けてくれなかったことそれらが重なり、母の教会への信仰はこのころには薄れていました。
そして信仰が薄れていた故に自分が兄に無理に信仰を押し付けていた罪悪感が芽生えていたみたいです。
故に、兄からDVを受けても母は罪悪感から泣きながら我慢していました。

その状態が私が高校3年生になるまでのおよそ2年間続きました。


恥ずかしい話ですが、この頃高校3年生になった私は高校へは週3日か4日ほどしか行かなくなっていて、学校の成績もガタ落ちでした。
家にいるのもいやだけど学校へ行く気力もなくて1日何も食べないで布団にこもったりインターネットをしたりしていました。現実逃避をしていました。
学校では少数ながら友人もいましたが、誰にも家族のことを相談できませんでした。

しかし高校3年のある日、母が仕事へ行く直前に最早恒例となった兄の母イビリが始まって。
学校へ行く準備をしていた私がなんとかして止めたのですが、母も母で我慢の限界が来ていたみたいで。"もう嫌だ、仕事へ行きたくない、つらい"と泣きながら私へ訴えてきたのを覚えてます。
その時は"泣きたい気持ちはわかるけど、お母さんが頑張らないとこの家は経済的に成り立たない、私も困る、どうにかがんばれ"だかなんだか言って母を励ましてどうにか仕事へ送りだしました。

私と母親の関係は口もきかなかった父が死ぬ前に比べ、兄という共通のストレス源ができたことにより多少はよくなっていました。皮肉ですね。
そして私は姑息な子供だったので、感情論は別として母に養われている自分の立場を意識できていたんでしょうね。

No.3 14/11/08 04:54
お礼

母を送りだしてそのまま学校へ行ったのですが。その時は私も限界がきてたんでしょうね。3年間変わらなかった、還暦を迎えた担任の顔を見たらそれまでのことを我慢できなくて、相談があるんです、と言いながら既に泣いていたことを覚えてます(笑)。
担任は倫理学の教師だったのも不幸中の幸いだったかもしれません。彼は私の家庭環境、現状を真剣に聞いてくれました。
"もう君ひとりの力でお母さんを支えるのは無理だし、君自身にも限界が来てる"と言われました。

この当時の担任に相談したことが一種私の人生のターニングポイントになったのだと思います。
彼は出席日数不足で留年しかけていた私をどうにか卒業させてくれました。大学進学の際に家を出たほうがいいとも助言をしてくれました。
そして、信じていたはずの教会にも頼れず、客観的な立場から助言をもらえる人のいなかった母の相談相手にもなってくださいました。母は少しずつ、持ちなおしていきました。
兄の家内でのDVは相変わらずでしたが。兄は何度か母の通報により警察にお世話になりました。母への殴る蹴るはなくなりましたが相変わらず"俺の人生を滅茶苦茶にしたのはお前だ"とつばを吐きかけていました。


高校卒業後、まともに高校で勉強をしていなかった私は1年間浪人として勉強しながら早朝のバイトをこなしてお金を貯めました。父親の死によって降りた保険金を使い昼~夜は予備校、朝はバイトをしていたのでその1年は殆どねるためだけに家へ帰っていました。予備校とバイト先でコミュ症を改善する傍ら、私は家のことは見ないようにしていました。無関心を貫きました。
糞みたいな学力から1年でどうにか並ぐらいの学力になった私はなんとか大学に合格しました。実家から電車で1時間半の大学です。浪人していた時に引っ越し代と、一人暮らしをするための初期費用を貯めて、大学進学を機に私は一人暮らしを始めました。

母とは普通の母子くらいの仲にはなりました。未だに兄の母へのイチャモンは続いてるみたいです。警察にお世話になることもまま、あるみたいです。

No.4 14/11/08 04:57
お礼

実家を出て1年半ほど過ごして、私はだいぶ精神的に落ち着いたとおもいます。
友達とTELしたりTVを見てたり椅子の軋む音だけで怒鳴って私の鞄を道路へ投げたり怒鳴りつけて来る兄がいない。兄に殴られることがない。母と兄の毎晩の喧嘩を聞かないでいられる。
今では私の家は実家ではなく、1Kとロフトの狭い城の方という意識が強いです。

けど、根本的には何も解決してないんですよね。
私は実家を見捨てたような感じです。しかし実家を見捨てようとも血縁関係はどうにもならないです。私は一生この家族との縁を切れないし、そして母を見捨てることもできないような気がします。
宗教をめぐって対立をしたとはいえ彼女は宗教を除けば概ね善良な母であったと思うから。ヒステリックなところもありましたが。腐っても親というわけですね。
そう考えられるようになった傍ら、私は未だに母を許せない気持ちも、たまに、出てきてしまうのです。
母は、確かに宗教に関して後悔をしていました。しかしそれは兄への懺悔の気持ちです。母から私へその気持ちは、たぶんほとんどなかったのでしょう。私は小6の時から親に反抗して自由気ままに行動するクソガキに見えていたのだと思います。
母は教会へ行かない私に茹でたてパスタを皿ごと投げたりしましたがそれも覚えてないのでしょう。やられた側しか覚えてないものなんですね。

私も母はあの時はおかしかった、今大学に通えているのは母のおかげだし、最低限養ってくれた恩もあると理解はできているのですが…未だに許せないという感情が首をもたげて出てくるのです。


それに私は今後の人間関係にも不安を抱いてます。高校の時に比べてコミュ症は改善して大学ではそつなく人間関係をこなしています。
しかし、深い仲にまでなれる人はいても家族のことは言えません。
特に不安なのが異性関係です。
私の家族のことを知って私と付き合ってくれる男性はいるのでしょうか。
今まで3人ほどの方とお付き合いしましたが、家族のことは言えませんでした。
軽蔑されるのが、重いと思われるのが怖いのです。家族仲のことを、兄のことを知られて、こいつとは付き合えないと思われるのが、怖いです。
これからもし将来を添い遂げたいと思える方が現れても、私はこの不安と戦い続けなればならないのかと思うと、涙が出てきます。
怖いんです。

No.5 14/11/08 04:59
お礼

すいません、最後です。

自分の過去はどうにもできないし、家族も私にはどうにもできません。
けれど相手にその重荷を背負わせる覚悟も私は持っていないのです。きっと言えないです。
実家から逃げた私には根本的な解決策を見出すすべもありません。
過去のこととか自分の未来のこととか考えていると無気力になってしまうときがあります。

なんだか自分がスれた人間になってるような気もします。
自分のトラウマとどう向き合えばいいのかわからないです。


長々と文を書きながら改めて自分の半生と向き合ってみましたが。未だに感情がぐちゃぐちゃになってしまいます。
どうしたら昔の傷と向き合えるのでしょう。

長々と失礼しました。

No.13 14/11/08 23:32
お礼

>> 7 なかなか壮絶な人生ですね(笑) 私の回答が貴方に合わないようであれば捨てて下さい。 親を許せないなら許す必要はないように思います。許… 罪悪感で許しても怒りにかわる、確かにその通りだと思います。
母は母で苦しんでいたのだから今までの母の態度を水に流して私くらいは、という気持ち…罪悪感というのかはわかりませんが…
そういう気持ちを確かに抱いていたと思います。それが消化不良を起こして今に至っているのだと思います。

私自身が家族を重荷に感じているから、相手もそう思ってしまうと思い込んでいる。まさにそれだといわれてみて思いました。
いつか自身の感情を素直に吐露して肯定できるようになりたいです。

通行人さんの言葉はとても思い当たる部分が多く、とても励みになりました。
ありがとうございました。

No.14 14/11/08 23:40
お礼

>> 8 映画「タイムマシン」 主人公は事故に遭う彼女を助けようと、何度も何度も過去にタイムスリップするが、結局助けられず自問自答繰り返した後、未来… 兄は確かに母親に反抗する段階で流れが止まっているように感じます。

元来私よりも神経質で内気なところのある性格でしたので頼れる大人が身内しかいなかった、その上否定されたのが今の兄の性格を形成する大きな原因になっているのかもしれません。

父親的な誰かの力、ですか…。
私にとっての担任のような存在が、兄にとっては宗教関連の人間だったみたいです。ですので、そのような存在は残念ながら今現在兄にはいないように思えます。
兄も兄で不幸な人なのかもしれません。

ありがとうございました。

No.15 14/11/08 23:53
お礼

>> 6 過去にとらわれた生き方していたのですね。俺にはわかりません。 そうですね…とらわれないで生きていけたらいいのですが…無理みたいですね。

ありがとうございました。

No.16 14/11/09 02:31
お礼

>> 9 こん、主! 何でもトラウマに当てはめたらダメだ。 これくらいの出来事なんて、大なり小なり大概の家庭で起こりえることだ。 宗教絡みは、もっ… 負けるな、という言葉。とてもありがたいです。
ありがとうございました。

No.17 14/11/11 02:17
お礼

>> 10 私はプロではありません。以下は、私の思ったことを書いています。少しでもあなたの役に立てばいいなと思います。 一番良いのは、プロのカウンセリ… とても長く、真剣なコメントありがとうございました。

私自身、幸せというのがよくわからない自分が幸せになれるのか…という不安をすごく抱いています。
その上幸せになるには、まず家族のことを…と考えてしまいます。

母親に泣かれたとき、泣きたい気持ちに、確かになりました。
けれど泣かれてしまった手前、母も苦労してるのだからと無理に自分を無理に納得させてここまできてしまったと思います。
鬱憤した気持ち、それを解放する手段もよくわからないまま成長してしまいました。

母を許せない気持ち、家族に対する冷たい気持ち、
これらを持っていたらいけないと無理に自分に言い聞かせてたんだと思います。

それに、お前はよく頑張ってるよ、って言ってくれる人も担任以外はいなかったですから、
(これも贅沢なのぞみですね(笑)。)
自分の気持ちを押し付けて無理に前に進むことが正しいのだと思ってしまっていたと思います。

自分をほめる、今の気持ちを認める。

これから良い選択ができるように自分の考え方を少しづつ変えていきたいです。
少しだけ、気持ちの整理がついたように思えます。

ありがとうございました。

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