注目の話題
付き合いかけた方がいて、付き合えませんでした。 はじめは相手の方からアプローチがあり、振り向いたときには、彼は私ではないとおもったようです。
不妊治療の末に3回目の移植で授かりましたが、12週で心拍がとまり流産となりました。 体外受精に進むまでに当たり、痛みをともなう検査も1人で耐えたし婦人科の
ローソンのレジで2回ほど、「カードでお支払いしたいです」が伝わらずびっくりしました。「クレジットでお願いします」は伝わるのに、「カードで」だと伝わらないらしく、

私は男です。 90歳の母親と3年前から同居しています。 だんだん嫌になってきました。 母は、耳が遠く大きな声で話さなければならず、うるさくて嫌になります。

No.39 21/08/12 05:02
匿名さん39
あ+あ-

90歳の母は大変ですよね。

埼玉県 朝倉病院事件を参考に
聞いてください。

15年前、私の叔父は90歳の祖母と二人暮し。温和な叔父がいつも怒鳴る、怒っているような話し方で祖母と接していましたが、けして怒っている訳では無いと感じていました。

祖母は90歳にもなると 
体調を崩し入院する頻度や、癌など大病を繰り返していました。
食事、お風呂等は自分で入り頑張れていましたが、医療や買い物は叔父に頼んでいました。叔父は車を運転しませんので大変でした。

肺炎で入院し、ベット上、元気に足を上げる運動ストレッチをしていて
おばあちゃんはとても元気になりましたが、その元気な回復ぶりが 小さな病院での医療を圧迫し、早く退院させるか、死の2択になった様です。
拘束されながら
IVH投与により 散々苦しみ抜き死亡しました。老衰と言われながら苦しみぬいたのですが、朝倉病院と同じ事は どの病院でもされています。 
おばあちゃんを大事に思っている。身内、子供、孫、ひ孫が 20人いる人にも起きました。

祖母の周りに95歳まで生きた
張り合っているおばあさんがいました。
私の祖母も、自宅療養に引き返せば
95歳以上生きたと思いますが、老いた人の5年の余命は大して差がありません。

祖母も体がしんどいながら普段、無理をして生きたと思います。入院中は助かりたい、長生きしたいと、医者や叔父や母に凄く悲願していましたが…人は死ぬと思うと生きたいと思うものです。
元気だったのに 拘束とIVHの時には、叔父も母も 疑念や憤りのなさ、心を痛めながら診送りました。持病のある闘病経験の多い、母も私も心を痛めています。

今は私の母が、同じ地域の老人病院に入る時は、同じ様な末路になることを本人が承諾しています。
その時は生きたくなるとしても、
これ以上迷惑掛けたく無いし、迷惑かけてまで長生きしたくないと言う生前の意思から、
その時が来たら早めに母を失う予定です。 
私も老いた母への対応が、キツくなりました。ストレスである事はどうにもなりません。若い頃、自分はこんな風にならないと思っていましたが…

本来、より良い終末を…とは思います。
自分の立場に置き換えて、されたくない事が抵抗がある限りできません。したくありません。
しかし、多くの人がその様な立場に立たされています。

39回答目(73回答中)

新しい回答の受付は終了しました

介護の悩み掲示板の悩み一覧

悩みを投稿する

注目の話題

お悩み解決掲示板 板一覧