キリスト教の教会
キリスト教の教会でどんな事をしてますか?
お布施とかは必ず必要ですか?
15/03/27 22:35 追記
人生の指南がほしくて…宗教に望めますか?
新しい回答の受付は終了しました
キリスト教にはプロテスタントとカトリックがあります。
日曜礼拝にいくと献金といって献金袋がまわってきますが個人が神様にお返しする感謝のお金を入れればいいのでお金がなければ入れても入れなくても大丈夫ですし、その他のお金の強制は一切ありませんのでご安心下さい。日曜日礼拝に行くだけでも行ってみたらどうでしょうか。
キリスト教は、日本仏教や神道よりずっとカネが掛からないです!
普通キリスト教とは
・カトリック‥世界に十億以上の信者だが、ローマ法皇を頂点にした一つの統一された派
・プロテスタント‥世界に4億くらいか? 千以上の派に分かれるが、有名なのはルター/ルーテル派、改革派、イギリス国教会/聖公会など。これらは余りエキセントリックではなく、一応儀式があり、カトリックにも近いか!? 他方バプティストなどは独特な雰囲気やアドリブの祈り、皆で歌い踊るなどがある。
・正教会‥ギリシャ正教、ロシア正教など、東欧から中東に広まる。約2億。もともとはカトリックと同じ派だったが、微妙な食い違いで互いに分裂。正教会は、多分最も古い教会の一つ。
以上がいわゆる正統派!
対して勧められないのが、自称キリスト教だが、実際には違うカルト的な、
・エホバの証人/ものみの塔
・モルモン教
・統一教会 など。
あと一応キリスト教だが、いわゆるアメリカか韓国から来る原理主義/ファンダメンタリズム/エバンジェリカルとか呼ばれるプロテスタントの一部の派。
これはやたら世界の終末を強調したり、進化論否定したり、他の宗教と対立したりする。聖書の一字一句をそのまま解釈している😖
まあ私個人が勧めたいのは、カトリックか、ルター派。特に本場ヨーロッパなら、この2派がメインだし、一番接し易い雰囲気。
ギリシャなどの正教会も、まさに元祖キリスト教の雰囲気が濃厚だが、神田のニコライ堂見ても分かるように、日曜礼拝が3時間、しかも椅子とか基本的にないから、立ちっぱなしか、床に座ったりひれ伏したりする。
他にも規律が厳しい!
これさえ無かったら、一番魅力的なキリスト教かも!?
あとキリスト教イコール聖書ってイメージが強いだろうが、実際には、カトリックや正教会の信者は、プロテスタントと比べて聖書を読まない。
カトリックや正教会で最も重要なのは、日曜日のミサ/聖体礼儀で、最後にパンとワインをキリストの肉と血に見立てて聖職者から頂く事†
聖書もミサの途中で読まれるが、神父や信徒代表が前に出て朗読するだけで、一般信者は聞くだけ。だから聖書持参で教会に行く必要なし。
プロテスタントでもルター派やイギリス国教会は基本カトリックなどと同様。
歌だけは皆で歌うが、聖歌の本は教会の中にあり、持参しなくても構わない。
とにかく現代カトリックとルター派に関しては、かなりリベラルで楽な宗教だ!
厳格さを強制されないから、気が抜けるかも(笑)
ただカトリックの場合は、信者本人が厳格な生き方を望むなら、修道院など、それに見合う生き方できるシステムがある。
こういう正統諸派の場合は、強制が少ないから、どこまで宗教的に厳しく生きるかは本人次第だな!?
人生の指南がほしくて宗教に入るって人多いですよね。
入る人は、何か悩みがあったり、救われたくて入る人多そうです。
どんな宗教であれ、少なくともこれだけは確実に言えることですが、宗教に入りさえすればその悩みなどが解決するという保証はどこにもありません。仲間はできると思いますが。
私の知り合いで宗教へ入った人がいました。聖書やイエスキリストが出てくる宗教でしたがたぶん、偽キリスト系の宗教でした。何やら細かい決まりがあるみたいで信じられないようなきまりばかりでしたが、お布施ももちろんあり、宗教中心で家計も破産していましたよ。
そう、人生の指南欲して宗教に入る人々は、気をつけないとオーム(アレフ)みたいなカルトに騙されて入れられ易い。要注意!!
キリスト教のマトモな派なら、基本、教会は信仰を求めに来る場所であり、仮に精神的な病や問題があったら、専門医に行くべき。
勿論、日本の臨床精神医学の実際は、まだまだ問題を抱えた人々に心地好いとは言えない。だから教会に行く人々もいて、教会側も来るな、とは言わないが、神父は基本的に心理学を経験上分かっても、神経・精神科医の専門知識はない!
ただし軽いノイローゼや、人生の哲学的な悩みを抱えているなら、教会に行ってみるのもいいと思う。
旧来の宗教と新興宗教の(カルト)違いは、
学問と勉強との関係に似ている。
知識・経験が浅く自ら学びを習得ができない子供達には先生がある程度、強制的に教えるから教えを強いる【勉強】という形を取りますが
年齢も上がり自らものを考え自主的に学び取ろうとするようになると
勉強ではなく、学び・問う【学問】という形に変わる。
それと同じで旧来の宗教は自主性を大切にし、カルト教団のような金(授業料?)のを取って教団の教理を押し付けるのとよく似ている。
カルトにはまる人達は幼い児童達と同じ、自分で物事を正しく判断できない未熟な人達ではないだろうかと考えられる。
本来、宗教も学問にあたるもので自分のない知識を師から教授を受けるが、自分の精神を安定させてくれる安らぎは生涯をかけて飽くまでも自ら求め続けて行くものなのです。
だから宗教では剣道、茶道などと同様に道を極める
『求道』
と呼ぶのです
新しい回答の受付は終了しました
質問掲示板の悩み一覧
注目の話題
お悩み解決掲示板 板一覧