自他境界の曖昧さと、共感の違いって何ですか? 私はASDと診断されているの…
自他境界の曖昧さと、共感の違いって何ですか?
私はASDと診断されているのですが、カウンセラーさんや母親に自他境界の曖昧さを指摘されています。
「自分の考えは正しく、相手もそういった考えを持っていなければおかしい」という風に、他者の中に自分を見出そうとする傾向があります。二次障害が酷かったときは、自身の視界に入る全ての人間に自分の思考が読み取られていると思い込んでいたこともありました。
その逆もあって、場合によっては他者の価値観や経験を自分のものだと思い込む事もあります。
こういった特性を持っていて困るのは、メンタルの安定です。
例えば、友人と話をしていて「こういう嫌なことをされた」と耳にした時に、自分がそれをされたような気になって、本気で怒り始めたり悲しくなったりします。
また、フィクションの作品を読んでいて、登場人物が強い精神的ストレスや焦燥感を抱いていた場合に、過呼吸を起こしたり不眠になったりします。
今回の質問の中心はこのことについてなのですが、「他者の価値観や経験が、自分のものと区別がつかなくなっている状態」と「共感」の区別をを言語化するとどうなりますか?
自他境界の区別がついている人が、映画を見て感動して泣いたりしている時って、自分と登場人物は合一になっていないのですか?
タグ
新しい回答の受付は終了しました
夜中ある女性に回答を入れてるよ。
カウンセリングは医師の代行で毎日掲示板で行(おこな)っています。
掲示板下に検索ある。
検索タップしキーワードに
アラサー
と入力しましょう。下に下がり検索タップすると
アラサーの女性です…
と心の悩みで投稿があるから読んでみて。
No.1自分の回答になる。
主さんあなたは自(字)分なんですよ。
どういうことなのかを投稿に従い学習をする。それがあなた(YOU)の薬になります。
あなたと自分は今ひとつにあるんです。
これが林修の今でしょ!
もう古いですけど由来は俺から編みだした今(now)でしょ!です。
俺の投稿から勉強するんだよ。
解読には長(た)けた君な筈です。
わたしもASDと診断されていますが「自他境界の曖昧さ」に頷いてしまいました。
学生時代、叱られている人を見て泣き出すということがよくありました。叱られている理由は、わたしとは全く関係ないのに。もちろん理不尽に叱られているのではなく、その子が悪いことをしたからで自業自得です。
別に叱られた子が可哀想とかではないんですよね。「もし自分が叱られたら」と想像して感情がぐちゃぐちゃになってしまう。相手の立場に自分を当てはめてしまう。
酷くなると、AさんがBさんを殴る現場を目撃する→自分がBさんを殴ったと思い込む、もしくは自分がAさんに殴られたと思い込むなんて場合もあります。
自分も境界線が薄くてつらい時期を過ごしてきました。
人が悲しむと自分も辛くなる。人が怒鳴られてると自分が怒鳴られてる気になるなど
人の感情を敏感に受け取ってしまったり。
無意識の領域なのでなかなか難しいですよね。理屈では分かるのに感覚で腑に落ちないので。
今は境界線が引けるようになってきましたが
意識しながら、これは自分の感情ではないとか相手の問題と自分に納得させてきました。
境界線の引き方の本やカウンセラーさんの助言なども取り入れてきました。
相手との中に一枚フィルターがあるように意識するのも良いかと思います。
映画は自分の事のようには思いません
物語の一つとして今は見れるようになりました。
新しい回答の受付は終了しました
心の悩み掲示板の悩み一覧
注目の話題
お悩み解決掲示板 板一覧