魂や転生、死後の世界や霊界などはあるということでしょうか?死んだらみんな魂となる…
魂や転生、死後の世界や霊界などはあるということでしょうか?死んだらみんな魂となる?
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主様、どういたしまして、質問の回答ですが、未来が見える人(預言者)は居ますが死後の世界等は生きているうちに実際に見たり感じたりする事は出来ないと私は思います、でも実際に魂や死後の世界が見えたりしたら私は怖いです、、色々な人が居るでしょうし積極的に見たいとは思わないです。
あと10年もすれば死後の世界や霊界の存在が、量子物理学的に証明されると思うよ。
天国行き地獄行きは賞罰ではなく、自分と同じ状態の魂が引き寄せ合うことにより自ずと天国や地獄を形成する。
殺しや悪行により魂はけがれるんだろうね。
>9
それは無理です
この手の質問にあるないと色んな意見が来ると思いますが
すべて「そう思う」という個人的見解でしかありません
何故なら訊いてる相手はすべて死んだことのない生きてる人間だからです
時折すべて知ってるかのように語る人もいますが
自分が知ってるその説が本当に正しいのかどうか自分で証明しようがないということを考えないまま安易に結論を下してしまってるだけなので
あてになりません
色んな言説に触れるのは構いませんが鵜呑みにしないことですね
所詮死んだことのない人間が生きてる間の知識や感覚で語ってるに過ぎませんので
死にかけた人は生死を彷徨ってる間、見るものは人それぞれ違ったらしいです。例えばトンネルを見たり三途の川を見たり…その人が考える死んだ後の世界、を見たらしいです。
なので人によって行く所は違うと思います。
自分は罪を犯したから地獄に行く、と思っている人は第三者から見て罪を犯してなかったとしても本人がそう考えているなら行くでしょうし、天国に行くと本人が考えているなら罪を犯していたとしてもその人が考える天国に行くと思います。
幽霊は実際本当にいますしきっと何かしらはあるんじゃないでしょうか。
一説によると死んだ後人は夢の中の様なその人が考える限りの死後の世界に何年も何十年も閉じこもり、考えや精神を極限まで削ぎ落として真っ白になったらまた生き物に転生して地上に落ちてくると聞いた事があります。
まずわからないことは置いといてわかることから考えたらどうでしょうか?
死んだら残る魂とはそもそも何ですか?と
転生があるなら魂もなければなりませんが
魂とはそれ自体に何か自己同一性があるものという印象が一般的にありますね
それは私たちが当たり前のように「自分」があると思っているとこから来てる錯覚です
特に難しく考えなくても自分とは錯覚だということぐらいは誰でも理解出来ます
自分という自立した魂が人間の中心にあるとしたら
この命の主人は自分です
みんな何の疑いもなくそう思ってますね
じゃあ自分で命の活動をしてるなら自分で命の活動を止めて下さいと思います
出来ますか?
自分で命の活動自体をオン・オフは出来ないですね
死ぬ為にはわざわざ身体を壊す行為(自殺)をしなければなりませんから
要するにこの命は自分で生きてる訳ではなく身体の方が勝手に自立して生きてるだけです
自分という魂が中心にあるのに何故生命活動自体をコントロール出来ないのか?と思いますね
認識を取ってみても同じことが言えます
認識は誰がしてますか?
自分ですか?
違います
自分で物事を認識してるならその認識をしないことも出来なければなりませんから
試しにこの回答を目で見ながら見ないで下さい
出来ますか?
自殺と同じように目を壊すか視界を遮ることでしか認識を絶つことは出来ません
他の感覚器官すべてに言えることですが
認識に「自分」という主語は成り立ちません
人間の中心に自分という魂があるなら何故認識ぐらいコントロール出来ないのか?と思います
つまり私たちはこの身体の機能に翻弄されて生きてるだけで
自分とはそのあとに脳の機能として生まれただけに過ぎないものです
だから命に対して自分とは無力なのですね
それらはちょっと自分というものを客観的に観察しただけでわかることです
魂や死後のことはわかりませんが
少なくとも人間の中心に自分という独立したアイデンティティのような魂はないということぐらいはわかります
だとしたら何かが転生するしないという話はどうでもいい話になりますね
死後の世界が存在するかしないかの前にまず「存在」とは何か?ですね
存在を存在として認識するということはそこからの情報を認識してる訳です
情報とは何か?と言えば簡単に言えば変化のことです
例えばニュースという情報が存在する為には世の中が変化してなければなりません
何の変化もない世の中ならば何のニュースもなくニュースという概念すらも存在しません
目で見る耳で聞く何でもいいですが
それらの認識も光の粒子の受信や空気の振動の受信によって認識されます
すべて変化です
この世の森羅万象すべては変化してるから認識され
変化してるから存在してられます
仮に何の変化もないものがこの世にあるとしたらそれは私たちには絶対に認識出来ません
何の情報も発信しないのですから何も無いのと同じで存在として成り立ちません
死後の世界でも神でも仏でも幽霊でも構いませんが
それらが認識出来て存在しているものなら
私たちと同じようにそれらも変化しています
ということはこの世と同じようにいずれ消えてなくなり
私たちと同じように老いて死んでく運命にあるものです
だとしたら別に大したものではありません
仮に死後の世界や神や仏や幽霊があるとしても
一般的に言われているものではなくまったく違うものになる筈です
わからないことは置いといてわかることから考えていくとそういうことになると思います
本当のことを言えば今回の質問についてどうこうよりも
何故主さんが死後のことを知りたがるのか?ということの方が本当は重要なのですね
そこに本当は考えなければならない問題がある筈です
だから輪廻説を唱えた仏教の祖であるお釈迦様はそれらの質問に一切答えないという無記の態度を取りました
その代わり毒矢の喩えで
死後のことを考えるとは刺さった毒矢は誰が射ってどこから飛んできて毒の成分は何か?と考えるようなもので
そんな無駄なことを考えるよりもさっさと毒矢を抜きなさいよと言ってます
だから主さんが死後のことを欲する根幹なるものを何とかする方が本当は先決なのですね
単に自己存在に対する疑問やこの世の意味や理由を知りたいと思ってるのなら
まずわかることからきちんと考えてくことです
そうするとどこまでがわかることでどこからが妄想話かということが整理出来ます
その整理さえ出来れば一旦落ち着く筈で
あとは現実の自分と向き合ってその毒矢を抜くべきです
先日、何だコレミステリーってフジテレビの番組だったと思いますが、
戦艦大和に乗って戦死した人が、現代日本に転生して、子供でありながら親が教えてすら居ない軍歌が歌えたとか、
第二次大戦の記憶を持っていたという話をやっていました。
他にも、違う番組ですが、イギリスで前世の記憶を持って産まれた人が居て、その女性が誰かを探すところからスタートし、
前世の女性の家族から生まれ変わりだと認められて、(前世の女性が産んだ子供が生きており、母しか知らないことを知っていて、間違いなく亡くなった母だ…と感動の再会を果たしました)
今世の家族と一緒に家族ぐるみの付き合いをするまでになったとの事例もあります。
このような例があるので、ごく稀だけど転生している人は居ると思います。
あれはヤラセだとは思えなかった。
この二人のように、何故転生する対象に選ばれたかもよく分からないですし、
転生した場合に、子供の頃は明確に覚えているけど、大人になったら前世の記憶を忘れている場合もあるそうです。
何度も回答して申し訳ないですが
毒矢とは何か?ということなのでこれで最終回答とします
毒矢とは人それぞれの抱えている問題や悩み苦しみなどですから
具体的に何かとは言えません
それぞれが自分と向き合って克服してくものですね
でもこのような死後のことや転生に関心があるような人は自分はどこから来てどこに行くのか?という自己存在に関する疑問と不安を潜在的に持ってる人だと思います
私もそうなのでよくわかりますがそういう人は何らかの答えが知りたいのですよね
例えば宗教は神によってその答えを提供してくれます
神という存在を持ち出せば何故自分が存在して何の為に生きてるのか?というすべての問いに説明が付きますから
その為に神というアイデアが生まれたんでしょう
だからその辺の問いは人間が古来から持っている不安でもあり
その問いの答えを知りたいという衝動はもはや人間の欲望だと思います
ただそれらは考えてもわからないもので
わからないということをまず知るべきです
そしたら死んだ後のことよりも今生きてることに目を向けるべきでそれが本来一番大事なことな筈です
主さんのような質問をする人は私のような回答はきっと嫌でしょう
私は答えを提供しませんからね
わからないということを受容しながら生きるのはとてもしんどいのです
でも安易に答えを出すよりもそれが私は大事だと思うので
求めるような回答でないと知りながら敢えてこのような回答をしてます
もう少し踏み込んだ話をします
自己存在に関する疑問や不安の根底には「知らない」「わからない」「どうしようもない」というのがあると思います
まず私たちは自分の意思で生まれた訳ではなく気づいたら存在していて自分で自分を始めた訳ではありません
なので私たちは何故自分が存在してるのかその根拠を知りませんし
考えてもわかりませんし
それでも生まれてきてしまっているのでどうしようもありません
自分とは親や社会という自分以外の他者から否応なく背負わされたものなので
自分は何者で何の為に存在してるのか?という根拠や意味は親や社会にまず依存します
そこから承認されることで自己肯定が出来ますが
親や社会との関係性が希薄になったり
そもそもそこにすら何の根拠もないと感じてる人は自己を肯定する為の材料がないのですね
すると他にそれを強く渇望するようになり
それを提供してくれる宗教なりスピリチュアルに走るのだと思います
その知らないわからないどうしようもないという不安が
つまりこの場合の最終的な毒矢であり
そのカラクリをきちんと知り受容しながら今生きてることを充実させてくことが毒矢を抜くことになるかと思います
それと
私も若い頃に宗教をしてたのでわかりますが
輪廻という発想はとても危険なのですね
大概の宗教では死後の世界に階層を設けてその魂の段階によって今生の在り方が顕在化すると言います
なので今不幸な状態にいる人は前世で悪いことをして魂の段階が低いからだという理屈になるのですね
それは時として社会的強者が社会的弱者に対して自己責任として切り捨てる為の都合の良い論理として利用されるのです
それがインドのカースト制度であり
それが差別の元凶です
そもそも輪廻とは因果法則に基づく流れのことです
他の回答で言った変化の話もこれに該当しますが
この世は常に流れ変化していて形あるものは消滅しまた違う形になって現れる
それが輪廻です
変わらない自分という自己同一性を保った魂がありそれが生まれ変わるというものではありません
そもそも自分とは錯覚なのですから自己同一性を保つ実体など何も無いのです
だから仏教でも輪廻という教えはそれほど重要視してませんし
無我無常縁起の教えで大概話がつくので特になくても構わない教えだと言う仏教者もいます
そういう意味で輪廻転生の話ははっきり批判したいと思います
以上です
とても聡明な方ですね。
でもこの繰り返し同じスレを立てる
スレ主さんの悩みはそもそも監視されてるという
内容ではなかったかなと。
いくら科学的宗教的な解釈を説明しても
同じスレを立て続けるのでどうしたものかと思っていました。
因みに仏教の毒矢のたとえは有名な話ですが、
仏教で毒と言えば「三毒」が適当かと思います。
主さんが興味あるかは分かりませんが
「三毒」とは「欲」「怒り」「愚痴」の三つです。
愚痴とは物の道理を知らない阿呆という意味です。
これによって自分は種まきもしてないのに
種まきをした恵まれた人を妬んだりします。
「この三毒はこれもろもろの苦の因なり
なお種子のよく芽を生ずるがごとし
衆生はこれをもって三有に輪廻す。」
三有とは仏教、ヒンズー教の六道世界の事です。
この三毒によって人は輪廻を繰り返すという文です。
あえて語らなくても仏教は輪廻を前提とした教えです。
毒矢のたとえはお釈迦様に対して
宇宙の真理、死後の世界、すべての事を理解するまで
仏教は聞かない。という人に対して
「毒矢の分析をする前にさっさと抜きなさい、
理解しきる前に死んでしまうよ。」
「死後の世界、宇宙の真理など
今の自分に届かないものを求めても意味がない。
まず、一番身近にある自分の心を探り
苦しみの根源を見つけ出しなさい。」
という教えです。
仏教では生まれ変わりは救いでも何でもなく、
永遠に続く生まれ変わりの苦しみです。
そのサイクルからの脱却が
仏教の目指す解脱なのです。
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