結局人は結果だけを求めているのでしょうか。結果だけを見て人を判断する、自分はそれ…
結局人は結果だけを求めているのでしょうか。結果だけを見て人を判断する、自分はそれは間違いだと思っています。結果だけ見て判断するよりもどれだけ努力したのかという考えは違うのでしょうか。
子供が中高一貫校で部活は運動部でした。
顧問の方針がはっきりしていて
「中学の部活は義務教育だし、コツコツと努力することや仲間とうまくやっていけることを評価します。
どんなにうまくても練習をサボっている生徒は試合には出さない。
しかし高校の部活の成果は、学校の知名度や大学の推薦を左右する材料になります。はっきり言えば普段部活に来なくても実力があれば試合に出します。チームとして勝つために。そこは保護者の皆様にもご了承いただきたい」
と、はっきり言われました。
努力したからOKとはならないって話ですね。
「努力したけど結果が出せなかった」という時の努力を評価してもらえるのは、学生時代だけの特権ですかね。
仕事で評価されるのは、ひたすら、「結果」です。
「その結果を出すために努力したこと」はそれなりに評価されることもありますが、結果を伴わない努力って、何の評価にもならない。
むしろ「え?それだけ努力してこの結果?」と却ってマイナス評価になることも。
また、「努力したけど結果が出せない」ことを複数回繰り返すと、これまた、「いい加減学べや」と、これまたマイナス評価になりますね。
考え方が極端過ぎる。
結果が重要なこともあるし、過程の方が大事な時もある。
それを使い分けるだけだよ。
スレ主の文章は結果と努力の文字を入れ換えても成立する。
それだけ極端な話しをしてるってこと。
結果を出すために努力してる人の話ですよね?
例えば、超難関資格を取ったりオリンピックに出るという人を見たら「相当な努力をした結果だね」と誰もが推察できる。
落ちてたら推察できないし、受かってる人がいる以上、その人たちに比べて努力が足りなかったのかね、と思われても仕方ないよね。ケガや病気みたいな運的なこと除くと。
もちろん本人は頑張ったんだろうし、残念だったねとは思うけど、もっと頑張って次を目指そうとしか言いようがない。
一方で、甲子園で負けて泣いてる子たちとか見てると、いや、よくやった!感動をありがとう!と思って貰い泣きまでしちゃう。
優勝という結果が伴わなくても、一生懸命頑張る姿は大勢の人が熱狂するものがある。
努力してる姿を見る機会があったら、当然その姿は評価されると思うよ。
でも普通、努力してる様子とか、頑張ってる姿って、第三者からは見えないものですよね?
そうなると、どれだけ努力したかは結果から推察するしかないのよ。
結果はどうでも良くて、自己満足で努力してるだけなら、他者評価など気にせず自己完結すれば良いって話にもなるけど。
結果って、必要要件を満たしてるか?って話で、それが人の話題にのぼるのは自然な事じゃない?
それを排他的な意味で扱うから、嫌がるだけで。
あと少しってわかってるから、努力を後押し出来る訳だし、見てないって考えはおかしいよね。
だから、寧ろ、主の方が結果に執着してる気がするよ。
その他の悩み掲示板の悩み一覧
注目の話題
お悩み解決掲示板 板一覧