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【泰緬鉄道】~死の道

No.5 13/07/27 12:29
お礼



田中さんがチャンギーから持ち帰った遺書の中に一枚の楽譜があった。
数字譜と呼ばれるハモニカの楽譜だ。
作詞は弘田栄治大尉(享年27)
昭和22年、チャンギー監獄で絞首刑となっている。

【無実の罪を甘受して 耐えにし君の魂は 夏草深き南の土地より帰れ 母の国】

弘田大尉の故郷は和歌山県湯浅町だった。
中学を卒業後、湯浅駅の駅員になる。
陸軍鉄道隊の多くは、国鉄から徴用された。
昭和15年、鉄道隊に入隊。

弘田大尉が小隊長として派遣されたのは、泰緬鉄道の中でも最難所の【ヒントク】の切り通しだった。
立ち塞がる巨大な硬い岩盤を僅か3ヶ月で切り開けという命令。

工事は雨季の6月から始まった。
伝染病が蔓延し、食料も底をつく中、弘田大尉も捕虜と一緒にノミを奮って作業に当たったという。

当時の現場の状況を、弘田大尉の部下であった元鉄道第九連隊の諸星達雄さんは鮮明に覚えていた。

【証言】諸星達雄さん
「大本営が、連隊は全滅しようとも完成させろと命令を出したんです。大隊長が『弘田、頼むよ』と言われて、弘田大尉は小隊の全員を集めて『お前たち、ここで一緒に俺と死んでくれ』と言う訳ですよ。こんな無謀な工事はどんな事をしても出来ないんだけど、命令だからどうしてもやらないといけないという事で、まぁやった訳です」

◆遺書より
シンガポールの法廷で絞首刑に処せられることになりました。
泰緬線のヒントクという所で大勢の捕虜が死亡したからです。
3ヶ月の間にマラリアやコレラで70名が死亡しました。
原始林に格闘を続け、雨季と悪疫に侵され、言語に絶する死闘でした。
今までで最もお国のために働いていると思ったのはこの頃でした。

泰緬鉄道にはもう一ヶ所、ヒントクに続く難所があった。
チョンカイの切り通しである。

チョンカイを担当したのが樽本重治さん。
弘田大尉と同じ「小隊長」だった。

― 工期はどんどん迫って早くやれ早くやれ言われて、しかし手元には十分な機材がない、その時の小隊長のお気持ちというのは…?

樽本「それは大変だったし死んでもいいと思いました。その頃は命令に忠実だったんですね…若いしね…。何くそという気持ちもありましたね」

― 同じ小隊長で運命を分けた事について、お気持ちの中ではどのように…?

樽本「私の方が運が良かったと思います。やった事は同じに違いないですから。彼が『明日裁判やねん』と来たのが最後で…『えぇ?裁判?どうしたん?』と聞いたら『いやぁ、何も知らん、部下が何かしたとも聞とらん』言うてね…死刑になるなんて夢にも思わなかった」


【蟻地獄】~遺書より
大小無数の黄色い蟻が忙しげに歩いている。
死の身の上を彼らは何も知らないで無心に往復している。
穴に落ちて盛んによじ登ろうと焦っている蟻ね足が如何に早く動いても、周囲の土を下に落とすだけである。
蟻は穴の中に消えていった。

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